名城、大宮城をご存知か?

大宮城
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文明年間(15世紀後半)。

成田下総守顕泰が、かの有名な忍城(おしじょう)を建城するに際し、親類(甥っ子)であり、施工を任されていた成田無頼庵(なりたぶらいあん)に、こう言ったという。

 
顕泰「無頼庵よ、だいたいな、建物を建てる時というのは、総じて先に「仮型」というものを作るものじゃ」

無頼庵「か・・・仮型・・・でございますか?殿??」

顕泰「コレ、誰もおらぬ時に殿はよさぬか!堅苦しい!」

無頼庵「は、はい、では、叔父さん。しかし叔父さん、仮型というのは一体・・・?」

顕泰「言い方を変えれば模型、とも言えるな。要は忍城の小型版じゃ。昔、田宮模型が『城シリーズ』とかを発売していたのを知らんのかえ?」

無頼庵「な・・・・何ですか!?た・・・・みや・・・・・??」

顕泰「ったく・・・・。ガンプラばっか組み立てとるからそんなもんも分からんのじゃ!つまりじゃ、先に小型の城を建ててみて、構造に問題がないかどうかを確認をする、ということよ。イメージも掴めるべ?」

無頼庵「天・・・・プラ??イ・・・・イ・・・・メジ??な、なんだかよくは分かりかねますが、して、どのくらいの大きさで、一体どこに建てればよろしいでしょうか?」

顕泰「そりゃ、やっぱ同じ埼玉県内じゃの」

無頼庵「さい・・・?し・・・・忍藩内ということで?」

顕泰「うん、ま、その辺はそちに任せる。良きにはからえ、頼んだぞ!」

 

いきなり難題を吹っ掛けられた無頼庵は、同じ藩内、もしくは近々で、空いている土地を探しました。

そして忍城を1/10に縮小し、その模型として建てられたのが・・・・

現在、「鎌倉御殿」などと並んで、「日本の夜の名城5選」に数えられる、名城「大宮城」であります。

豊臣軍の水攻めに陥落しなかった「のぼうの城」

のぼうの城
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天正18年、豊臣秀吉による小田原征伐の中、忍城は苛烈な水攻めに合うも陥落することはなく、城主である成田家の名声は後世へと伝わることとなりました。

ところで当時、忍城のミニチュア版である大宮城はどうなっていたかといえば、何と忍城の男たちの「夜の遊艶地」として、大勢の遊女が置かれていたのです!
当時の侍が、大宮城を想い読んだ句が幾つか残されております。

「大宮の
 おたえのアワビ
 濡れそぼる」
     新之助

「妻よりも
 みちのハマグリ
 具合良し」
     権之助

この句において、アワビとハマグリが何を差しているのかは一目瞭然ですが、それでもそれらが季語になり得るかどうかは、専門家も意見が分かれるところだそうです。

おたえさんとみちさん、よほど素敵だったんですね。
さて、それでは話を戻しまして、忍城です。

陥落はしなかったものの、豊臣勢に開城した忍城において、大宮城のことは徹底的に伏せられました。

(きゃつらは何かを隠しておるのじゃが・・・・・)

秀吉がそう言ったとか言わなかったとかは、諸説が乱れるところ。

お気に入りの遊女を豊臣に取られまいとする、成田家の男たちの熱い意地が、それこそマグマよりも熱い意地が、口を真一文字に結ばせたわけですね。
 
それは、まさに武士(もののふ)の意地の炸裂———。

そして光陰矢の如く時は流れて、現代。
 

水攻めで男どもを陥落させる城として・・・・

名城
忍城が観光名所になった現在においても、大宮城はいまだ現役でございます。

苛烈な豊臣勢の水攻めにも陥落することなく、歴史に名を残した忍城とは対照的に、大宮城は、

水攻めで男どもを陥落させる城

として、こちらは「夜の歴史」に名を残し続けているんですね。

決して歴史の教科書には載らない、日本の裏面史、というわけです。

「日本の夜の名城5選」である大宮城。
ぜひ、あなたも、武士として、侍として赴いて、その「名刀」をフルスイングで振り抜いてきて下さい。

おたえさんもおみっちゃんも、待っていますよ♪